プラシーボ再考!

代替医療の世界的権威であるアンドルー・ワイル博士に『人はなぜ治るのか』と題した名著があって、論理の明快さ、洞察の鋭さ共に驚嘆すべきこの本は、一読つぃつぃ会う人毎に吹聴して廻りたくなるような本です。

この本の主題は、治癒が生じる為の核となるものが“心の働き”である事を様々な角度から論証して行くことにあり、薬学の世界では極めて否定的なニュアンスで語られる“プラシーボ反応”を肯定的に評価し直そうと試みた画期的な著作と言えるでしょう。

現代の医学薬学では、プラシーボ反応は単純無知な患者に生じる忌むべき反応であり、可能なかぎり排除すべき反応として、極めて否定的な捉え方がなされています。

しかし、ワイル博士は『人はなぜ治るのか』で、このプラシーボ反応に対する医師たちの認識は全く誤ったものであり、プラシーボ反応を肯定的に積極的に医療に取り入れるべきことを繰り返し力説しています。

この心の働きを上手く誘導し、治癒を生じさせることでは、野口晴哉先生がその天才ぶりを遺憾なく発揮されており、野口先生の講義録を、『人はなぜ治るのか』の読了後に読み進めれば、野口整体が時代の三歩先を行く先見性を持っていることに驚かされます。

プラシーボに限らず、唯物論を基礎とする現代科学は、私たちの心の働きというものを極めて否定的に評価してきました。

薬学におけるプラシーボ反応は、先述の通り、真の薬理作用を覆い隠す邪魔者にしか過ぎませんし、或いは医師が患者の訴える不定愁訴に対して何らの対処法も持ち合わせていない場合、自らの無能を棚に上げ、患者の心理に病因を求める…心の働きは、せいぜいこの程度の扱いしか受けていないのです。

しかし、医学というものが、健康や病気といった心身相関の現象を扱う以上、他の科学のように心理作用を完全に排除できるはずはありませんし(実際には如何なる科学も心理作用を無視する事が出来ないことは、近年の量子力学の立場から明らかにされつつあります)、そうすべきものでもないのです。

実際、プラシーボと薬理効果の間に、明確な線引きをすることなど不可能なことです。

代替医療の世界では、すでに様々なセラピーで心理療法が取り入れられていますが、そこでは既に否定的な響きをもって広まってしまった「プラシーボ」という言葉に代わって、「ラポール」という言葉が使われることが多いようです。

一例として、癌の心理療法として世界的に有名なサイモントン療法(アメリカの放射線医カール・サイモントン博士考案)においては、自分の癌に対してポジティブな捉え方をしている人の場合、そうでない人に比べて病気の進行等に明らかな差があり、また、意識が変わることで癌が完全に自然治癒する事例も少なからずあるということが明らかにされています。サイモントン療法では、独自の瞑想法に加え、ビリーフワークと呼ばれる方法で、信念の書き換えを行っていきます。

“病いは気から”とは実に使い古された言葉ですが、真に深遠な言葉でもあるのです。

このような心の働きが、医療にもっと肯定的に取り入れられる事は、現在の医療水準を飛躍的に高めるのに極めて有益なはずです

最後に、ワイル博士の『人はなぜ治るのか』から、印象に残った文章をいくつか抜き出してご紹介したいと思います。

○医師はプラシーボに通暁しているつもりで、ほとんどはそれを誤解し、医学の理論および臨床の両面でそのじゅうぶんな活用を怠っている(273ページ)

○プラシーボ反応に否定的な意味を付与したがり、つねにそれを除外することばかりを考えている医師や研究者は、そのために、はかり知れない肯定的な可能性に気付かず、プラシーボ反応の本体に対する誤解を深めている。(277ページ)

○プラシーボと患者の性格的特徴を関連づけようとする研究は、ことごとく失敗に終わっている。無知で、頭に血がのぼりやすく、まめに教会に通う神経症的なシシリー人といった、典型的なプラシーボ陽性反応者とされている人物の滑稽なイメージがどこから生まれたのかは、私にも察しがつく。それは、砂糖錠にコロリと騙されるような人と自分とをできるだけ遠い距離に置きたいという、医学者側の欲求から生まれたものだ。医師がプラシーボ療法をクワッカリーに近い詐術の一種だと考えているかぎり、自分はそんなものに反応するはずがないと思い込みたがるものだ。したがって、プラシーボが効かない人のイメージは、感情的に安定していて、世間智があり、教育程度が高く、利他主義的で、自己抑制力のある、どちらかといえばアングロ・サクソン系 ― 要するに「非のうちどころのない」医師像ということになるわけだ。(280ページ)

○医師が不活性プラシーボを処方するとき、その錠剤が不活性だという意識が働いて、何らかの好結果が出ても、それを「暗示の力」や患者の被暗示性の強さの証拠だと解釈しがちになる。プラシーボ療法を詐術的で何となく胡散臭いものだとする考えも、その解釈から生まれるものだ。プラシーボ反応を狭義に、ニセ薬に対する反応と解釈してしまえば、信じやすい患者は全知全能の医師に騙されていることになり、そこに「プラシーボ陽性反応者」という典型が生まれるわけだ。(287ページ)

○各治療法に伴う直接効果はさておき、あらゆる治療法には活性プラシーボとして機能する面があり、そこから、いかなる治療法によるいかなる好結果も、少なくともその一部はプラシーボ反応に由来するものであるという結論が導き出される。(288ページ)

○プラシーボ反応に否定的な意義づけをする現代医学の医師は、それを排除すべき煩わしい厄介ごとだと考えがちだ。ところが、あらゆる知識と経験を総動員しても、私には治療の直接効果と間接効果が分離できるとは思えない。治療を施した患者が治ったとき、研究や実験によって医師が、治療の「客観的」効果と心が介在した反応とを画然と分ける線が引けるようになるとは、どうしても思えないのだ。その根本的な理由は、そもそも心とからだのあいだにそのような明確な区分が存在しないというところにある。心は実在しない、あるいは、心はからだとひとつに結びついてないと仮想する人だけが、プラシーボ「効果」を除外できるという夢を見ることができるのだ。(289ページ)

○プラシーボに関する医師たちの第五の誤解は、とりわけ不毛の一語に尽きる。医師の多くは、要するにまだ、プラシーボ反応の肯定的な意味に気付いていないのだ。プラシーボ反応は内部からおのずと起こる純粋な治癒のあらわれであり、治療に伴って往々にして起こりがちな副作用や害作用がない。

(中略)

最良の治療とは、医師と患者の双方が心から信頼できる貴重な固有効果があり、したがって、それがからだに直接作用すると同時に、心が介在するメカニズムによって生来の治癒力が発動されるような、よき活性プラシーボとして機能する治療である。それこそが真の心身医学であり、また、いかなる判定基準によってもすぐれた医学であって、決してクワッカリーや詐術ではありえない。事実、真の医術とは、個々の患者に内部からの治癒力を最もうまく生じさせる治療法を選択し、提示する、治療家の能力のことなのだ。(290ページ)

○私は、プラシーボ反応が効果的に働くには、三つの信念の相互作用が必要だと考えている。すなわち、患者がその治療法を信じること、医師がその治療法を信じること、そして、患者と医師が互いに信じ合うことである。その三つの要素が最適条件で働けば、たとえ非合理な理論に基づく治療法でも、真の治癒が起こりうる。三つの要素の相互作用がうまく働かなければ、最も科学的・合理的な治療法でも失敗に終わることがある。(302ページ)

○プラシーボ医学を詐術としてではなく、精神誘導性の治癒機構を活性化させるような正当な手段として認めるようになることを、切に願っている。そうなれば、不活性プラシーボもいまよりは創造的に運用できるようになり、自家撞着的に気に入らない患者に与えるのではなく、自信と誠意をもって多くの患者にプラシーボ処方をするようになるだろう。(307ページ)

2007/04/13

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