フードファディズム

フードファディズム(food faddism)とは、「特定の食品を食べるだけですっかり健康になる」などという宣伝をそのまま信じ、バランスを欠いた偏執的な食生活をすること。あるいは、特定の食品を口に入れて病気になったなどの情報に接し、その具体的な量に関するデータも確認しないまま、それを感情的に漠然と記憶し、その食品を全く口にせず、バランスを欠いた偏執的な食生活をすることで、日本には1998年頃に、群馬大学の高橋久仁子教授が紹介したそうです(出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)。

つまり、日本で使用されるようになったのは比較的新しい言葉といえます。

フードファディズムという言葉も、あるある大辞典の納豆騒動で一躍一般人にも知られるようになりましたが、山本七平氏説くところの「空気」が、わが国に変わらず健在であることを教えてくれる言葉でもあります。

元々、フードファディズムに限らず、このような現象は付和雷同型の日本人に宿命のようについて回るもののようです。

石油ショックの時は、トイレットペーパーさえ消えたお国のことですから、納豆が良いからと、納豆がスーパーで品薄になったくらい、なんの不思議もありません。

フードファディズムを含め、同様の現象は日本人の行動原理が根本から変わらない限り、今後も永久に続くと見て間違いまりません。

具体的な被害が出た「白インゲン豆ダイエット」(158人に下痢や嘔吐などの症状が現れ、30人が入院)にくらべれば、単に好きでもない納豆を買い込みすぎたといった程度の被害(?)しか出ていない訳で、“あるある大事件”などは可愛らしいフードファディズムの帰結にすぎません。

一番問題なのは「何を食べれば健康に良いか?」ということに執着するあまり、食の本質や生産の背景、それらを育んでくれる自然等の大切な問題に目が行っていないことです。

また食事というのは「何を食べるか」も確かに大切ではありますが、「どのように食べるか」ということもそれと同じくらい大切なことなのです。

「一物全体」「咀嚼」「感謝」

どんな良い食品も食べ方が悪いと、本来の良さが台無しになってしまうものです。

何らかの効果を期待して、知らず知らずにマスコミに踊らされているような人は自分のことで頭がいっぱいなのでしょうが、そのような狭い視野では健康情報に振り回されるだけで、かえって大切なものを見失い、自らの首を絞めることにもつながりかねないことだけは頭に入れておくべきでしょう。

2007/02/18

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