外科手術の話

誰だって外科手術なんて受けたくはありませんが、いつか自分がそんな羽目に陥らないとも限りません。

そこで、今回は「外科手術」について考えてみたいと思います。

■外科手術の有効性

外科手術は、現代医学の日進月歩の発達を最も象徴するものの一つといえるでしょう。

テレビのドキュメンタリー番組などでも、その進歩発達の凄まじさを見せ付けられることが少なくありません。

このまま行けば、どんな難しい病気でも治る日が来るのではないかという希望も、強ち夢物語ではないように思えてきます。

伝統医学や代替医療に携わる人々の中には、このような外科手術を「患者を不必要に傷つける」として、批判的な人が多いようですが、当会では必ずしもそのようには考えていません。

伝統医学に携わる人々は大抵、現代医学に対して劣等感やコンプレックスのようなものを持っているようで、抗生物質や精密検査をはじめ、現代医学の成果のことごとくを目の敵にして、隙あらばケチを付けようとしていますが、医療に携わる人間がこのような狭量な態度をとっているのは、恥ずかしいことであると思います。

一つはっきりさせて置きたい事は、外科手術は非常に有効なものであるということです。

古典的医術では治療出来なかった病気のいくつが、外科手術の発達によって治療が可能になったことは否定出来ません。

特に、癌などの腫瘍を摘出するにはその長所を発揮しますし、事故などによる外傷にも大変有効であるといえます。

無論、伝統医学の分野でも、非凡な技量を持っておられる治療家の中には、そのような場合にもそれなりの対処が可能な方がいらっしゃるのも事実ですが、そのような方は例外的少数であり、凡百の伝統医学の治療家では失礼ながら、癌や大きな外傷には有効な対処法を持ち合わせない場合がほとんどのようです。

■医術は外科手術から

外科手術は、何故か現代医学の象徴として捉えられがちで、大昔から行われてきた事実は、一般にあまり知られていないようです。

たとえば、『黄帝内経素問』には「へん石」という表現で外科手術に関する記述がありますし、古代エジプトやインドでもかなり早くから外科手術が行われていたことが知られており、中南米の遺跡からもかなり高度な外科手術の痕跡が見られる人骨が数多く発見されていることも、外科手術の歴史の古さを物語っていますし、医術の始まりは外科手術であると言っても過言ではないかもしれません。

■外科手術の問題点

これまで外科手術について只管ヨイショしてきましたが、ここからは少し辛口に論じていきます。

まず、一つの問題はそれが患者さんの抱える問題の根本的な解決には繋がらない場合が多いという点です。

事故等の緊急事態は別として、癌などの場合を例にとってみますと、そのような状態になるまでには長い時間がかかっている訳で、ある種の生活習慣病といえる面がありますが、その病に至る原因となった自らの悪癖悪習慣を省みる余地を無くしてしまう事にならないかという心配があります。

手術で病変部を切除したら、一見「治った」ように見えますが、この「治った」というのは何を以って「治った」というのでしょうか?

この場合、「治った」のではなく「無くなった」という方が適切ではないでしょうか?

苦痛を与えている病変部が無くなれば、患者さん自身は楽になるでしょうし、これを以って治療完了とするのも分からないではありませんが、その病気を作り出した体自身が変わったのではないのです。

多くは根本解決には程遠く、表面的問題が一応の解決を見せたことで、真因が有耶無耶になっただけと言えるでしょう。

その病気を作り出した体自体が変化したのではなく、病変部分のみが「無くなった」に過ぎないのです。

このような場合、根本的な解決は成されていませんから、病を引き起こした生活習慣を真摯に見直すことを怠り、そのままの生活を続けていれば、また同じ目に遭う可能性が高いと言えるでしょう。

大きな病気の予兆的警告的に現れた病気であったなら、「手術して治った」と安心していると、今度は取り返しのつかないような大病となって患者さんを襲うかもしれません。

外科手術は最悪の場合の最終手段であって、そこに至るまでの気付きと予防が大切であることは言うまでもありません。

■臓器は基本的に残さねばならない

基本的に、不必要な臓器というものが無い以上、外科手術による臓器切除はその後の患者さんの健康に対して良い結果をもたらすものではありません。

臓器を切除することの問題点については、野口晴哉先生が名著『風邪の効用』で、

「最近のように臓器を除られている人が多いと、私のように体の自然なはたらきというものを利用して健康を保って行こうとするものには、とても不便なのです。まあ心臓がないという人はありませんが、腎臓がなかったり、子宮がなかったり、卵巣がなかったりする人はザラで、そういう人を円満に治そうなどと考えても不可能である…中略…とにかく天然のからだをできるだけ天然に保たなくてはならない」

と述べておられますが、真にその通りだと思います。

お医者さんから切除の必要性を説明されると、患者さんは簡単に臓器の摘出に同意してしまいがちですが、大切な臓器ですから、可能な限り切除せずに済ませたいものではあります。

一般に腕や足、指など表面に見えているところの切除には抵抗を感じても、見えない体内の臓器は案外簡単に切っても良いように錯覚してしまうものです。

■神の手は悪魔の手か?

最近、テレビ番組で「神の手を持つ心臓外科医」とか「神の手を持つ脳外科医」というものを見ることが多くなり、同種の番組の増加は「神の手ブーム」とでも形容したくなりますが、これが非常に曲者なのです。

確かに、このようなお医者さんの技術は神業というに相応しい水準のものなのだと思いますが、これも先ほど論じたのと同様に本人に根本的問題を気付かせる機会を奪ってしまう恐れがあります。

もう一つは、神業とまで行かなくとも、外科手術の世界はある種の職人芸の世界であるため、腕の良い医師ほど「切りたがる人々」であるということが言えます。

先ほど述べましたように、外科手術は最終手段である訳ですが、外科医は切るのが仕事ですから、とにかく切らねばなりません。

このように、切除を回避できる患者さんまで切り刻んでしまうことは本来絶対にあってはならないことです。

手術によって患者さんの命を縮める結果になることも少なくありません。

■外科手術を回避するために

このような外科手術を回避するためには、やはり伝統医学の知恵が必要なのではないかと思います。

精密極まる外科手術の発達は素晴らしいものであり、それによって救われる命は今後益々増えていくものと思われますが、古典的医術はそのような精密な手段を持たなかったからこそ、「傷を付けない診断法」の極限を追求し、「切らない治療法」を最大限発達させたとも言える訳で、祖先の知恵の集積であるこれらの医術は、限界もあるのでしょうが、やはり蔑ろにしてはいけない素晴らしいものなのだと思います。

2007/04/06

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