批判的検討の大切さ

このサイトの後書きでも書いたことですが、このHPは、世の中に流れている健康情報などに関して、肯定でも否定でもなく、批判的検討を加えることで、その意味や価値を問い直そうという事に主眼が置かれています。

ネットやテレビでは、情報は無批判に流される事が大半であるため、どうしても本サイトでは、批判的な筆致で書かざるを得なくなってしまいますが、それでも出来る限り公正な観点から記述を行うように努力しているつもりです。

悪意に満ちた情報を流す詐欺マガイの行為も、平和な民主国家である日本では、言論の自由の名の下に許され、否、野放しになっているのが現状です。

それなら、当会が批判的検討の結果としての情報を公開する言論の自由もあるはずで、いい加減な情報の垂れ流しを止めることは出来ずとも、流された猛毒を少し薄める効果が少しくらいはあることを願い、情報を発信しています。

前述のように、ここで発表する内容には間違いはあるかもしれませんが、意図的な嘘は一つも無く、記事の内容も可能な限り適切な表現に小まめに書き換えています(大幅な更新はトップページに記載していますが、僅かな文章変更は告知していませんので、時々他のページも覗いてくださいませませ)。

さて、表題の通り、当会では「批判的検討」を常に重視していますが、この姿勢こそ、学問分野において必要不可欠なものであることは言うまでもないでしょう。

故宇野弘蔵博士の大成した宇野理論とよばれるマルクス経済学の学派があり、これはマルクスの「資本論」を徹底的に批判的な観点から考察することで、資本論の真実を明らかにしようとする試みでしたが、何よりもマルクス経済学が陥りがちなイデオロギーとの不可分性を排したところに大きな意味があり、宇野先生ご自身も「自分をマルクス主義者とはもちろんのこと、広い意味での社会主義者とも考えたことはありません」(『資本論の世界』)と語っておられます。

少し話が脱線しましたが、批判的検討が出来ない人に可能なのは、無批判な妄信か、感情的反発かのどちらかです。

無批判な妄信は、何かを信じる場合でも信じない場合でも違いはなく、明確な根拠を欠いている点では同一線上の思考法に過ぎません。

感情的反発とは、厳しい言い方かもしれませんが、無批判な妄信+人間としての品位に欠ける行動であるといえるでしょう。

分野を問わず、ネット社会の不気味さを物語るものに、ブログ炎上事件があります。

先ごろも、芸能人のブログが炎上してニュースでも取り上げられましたが、根拠不明のまま、周りの空気に踊らされて、個人攻撃に加担するのは人間としての品位の低さだけに原因があるのではなく、現代社会が作り出す孤独の反映なのかもしれません。

HPではコメントを書く欄が無いことと、自分のアドレスでメールを送る必要がある為に、炎上には発展しにくいようですが、ブログは気軽にコメント出来、メールアドレスを乗せる必要もなく、匿名で投稿できる上、他人のコメントに勇気付けられ(?)、どんどん書き込みがエスカレートして行く傾向にあるようです。

私は海外事情には滅法疎いのですが、海外でもブログ炎上というのは頻繁に起こっていることなのでしょうか?何となく日本人に特有の行動に見えなくも無いのですが…。

日米安保の際もそうでしたが、あの時反対していた人のほとんど全員が、実際の改定内容を読みもせず、その時のムードで燃え滾ってしまったそうで、私はその世代ではないので実感がありませんが、思うに日本人らしい行動でしょう。

健康に関わる分野でも、ブログ炎上は頻繁に起こります。

一番多いのが、学者乃至専門的知識を持った人が、特定のメーカーのサプリメントなどに批判的な記事を書いた場合で、その商品の愛用者から大量の抗議の書き込みが殺到するというパターンです(某ブログの核酸のサプリメントに関する記事スゴイです…)。

しかし、ブログ管理者がこれまで明らかになった論文なりデータ、時に既成事実と化した学問上の常識を基に論述を進めている反面、怒り心頭の書き込みの殆んどは、「自分は治ったんだから悪口言うな!」だの「お前は自分で飲んで試した上で書いているのか」といった理性の欠片も見られない内容ばかりです。

こんな書き込みを読んで、自分も加勢しようという人の気が知れませんが、サプリメントの熱烈な愛好者というのは大体こんなもんなんでしょう…。

しかし、この手の感情的反発が、反論にすらなっていないことは一目瞭然でしょう。

プラシーボ反応や他の要因を考えれば、統計的処理を経ていない体験談の集積などいくらあっても無意味であることは何度も述べてきた通りですし、分子だけ見て分母を見ないのは視野狭窄以外の何物でもありません。

「泡盛を毎日ガブノミしたら、花粉症が治った」人がいるとして、その人がいくらそれを主張して駄々をこねても、誰もそれを認めないでしょう。

それを主張するには体験談以外の明確な根拠を提示する必要があることは論を待ちません。

また、学術的な根拠を明確にして書いている人に、「お前は自分で試したのか」と問いかける事自体筋違いでしょう。

もし、書き手が「自分が飲んで聞かなかったからインチキだ」と主張しているなら別ですが、学術的な根拠を明確にしないで喚き立てるのは、少なくともその商品の摂取にIQ(この場合EQか?)を高める効果が無い事だけは証明出来るかもしれません。

そもそも、全部自分で試してからでなければ何も書けないとなれば、この手の批評は何も出来なくなってしまいます。

飲尿療法なんて、よほどアブノーマルな性癖の人で無ければ心理的抵抗感があるでしょうし、健康食品や健康器具にはエラク高価なものも少なくありません。

それに、効果に即効性があると主張するもの以外、試した上で批判するにもかなりの時間や労力、金額を費やさねばならなくなり、よほど執拗に特定のメソッドなり製品なりに憎悪を燃やしてコキ下ろしたい場合を除いては、モチベーションが続きません。

自分が愛用している製品を批判されて腹を立てるのは分からないではありません。

しかし、それならば、該当分野の論文を精査するなりして、しっかりとした根拠を示すべきですし、それが礼儀というものです。

2007/04/28

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