理論より常識を!

健康食品や、健康グッズ、或は様々な健康法に関して、これらを普及していく側と、普及される側の人々とでは、視点が全く異なるのは当然でしょう。

売り手側は、とにかく物なりメソッドなりが広まって利益を生むことが、建前は兎も角として第一義に置かれるのに対し、買い手の側としては、より安価により手軽に効能書き通りのことが得られるのを望みます。

売り手の側は、中には理論を強調する場合もあるでしょうが、それらはむしろ少数で、大抵は誰にでも分るような体験談を重視して、我々買い手にアピールするのがセオリーでしょう。

残念ながら、その本質において体験談は、物事の真贋を見分ける上で、あまり意味を持ちませんし(マスコミを賑わせる健康関連の事件のほとんどが体験談先行の薬事法違反のかどで御用になっています)、満足な医学知識や理科の知識を持ち合わせていない一般の方々が、理論面から真贋を判断しようとするのも困難です。

また、科学の基礎理論の側にも不備があるかもしれず、私の経験からしても、従来の科学的知識で否定されたものの中にも、思わぬ本物があることは否定できません。

では、私達はどうのようにして身の回りを取り巻く健康情報を判断すればよいのでしょうか?

ここで、月並みと批判されることを覚悟で申し上げれば、結局は“常識”によって判断するのが、一番間違いが少ないと言えます。

息を長時間止めることを要求する呼吸法、特定の食べ物を食べ続けるダイエット法、即身仏になろうとするかのような「求道」の二字が頭に浮かぶ食養法…どれも健全な常識から考えて健康になれるとは思えないものばかりでしょう。

飲尿療法などは、一部の人には著効を示すこともある一種のショック療法ですが、万人が試みて無害であるかどうかは、概ね常識的判断で事足りると言えましょう。

また、その商品なり方法なりを勧めてくる人物が信頼に足るかどうかも、その人の言より、常識的に見て信頼できそうな人物かどうかという視点で判断すべきです。

一流の詐欺師でもない限り、簡単にボロが出るものです。悪意が感じられずとも、カルトの信者よろしく瞳の奥に異様な輝きを放つものがあれば、距離を置いて客観的に見てみましょう。

君子危うきに近寄らず…君子ではない貴方も、常識を駆使して危うきを切り抜けて下さい。

少し勉強家と自惚れている人も、常識を軽視すると思わぬところで足元をすくわれることになるかも知れません。

そもそも、日夜「健康」という名の妄想に追われ続けることこそが、「不健康」を誘発するストレスそのものです。

健康に過敏になりすぎないことは、どんな健康法よりも大事なことでしょう。

2007/04/20

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