健康法の不健康

『常識の非常識』というタイトルの本が昔ありましたが、『健康法の不健康』というタイトルでも本の一冊位は書けるかも知れません。

そもそも、健康を維持し、体質を改善し、長寿を目指すための健康法であるはずですが、私の周りを見回しても、健康法の実践者は凡そ健康的な表情には程遠いですし、短命な人が少なくありません。

テレビで時々100歳以上のご長寿老人がインタビューされているのを見る事がありますが、決まって特殊な健康法をしている御老人は皆無です。

せいぜい、「散歩」するとか「感謝して三度の食事を美味しく戴く」、「毎日牛乳を飲む」など、月並みなものばかりです。

牛乳など、食養家は目の敵にしているものですし、男性の長寿老人には喫煙者さえ少なくないようですが、ヨガだの玄米食だのを実践している人はまるで見当たりません。

結局、人の寿命は特殊な健康法が左右するような単純なものではないようです。

また、昔から健康法の指導者が短命なのは民間療法の歴史に詳しい人なら誰でも知っている事実です。

勿論、単に長く生きるだけが素晴らしい人生ではないでしょうが、有名な指導者の多くが、凡そ長寿とは言い難い御歳で天に召されているのは、何ともスッキリしません。

昔、玄米食などの手ほどきをして頂いた先生に、この疑問をぶつけてみた事があります。

その時のお話では、「健康法の大家は、多くが自身の病気や体質をその方法によって克服した経験を持つのであり、その時点で既に持って生まれた健康状態は普通の人より恵まれないものだったわけで、幾ら養生しても、持って生まれた生命力が人より弱い訳だから、どうしても短命になる傾向がある」というものでした。

なるほど、これは確かにそうかも知れないな、と思ったものでした。

しかし、私はやはり特定の健康法には、疾病の改善の為に一定の期間行うのは有益でも半永久的に継続して実践する事が健康を害する原因になるものが沢山あると思っていますし、もう一つの短命化の原因は「健康」に執着する心理的要因が、テレビに登場する御長寿老人のような“自然体”の生き方を困難にさせる事にあると思います。

健康法を実践するのは難しいものです。

おかしな体操や妙な呼吸法を継続して実践するのは苦痛ですし、美味しくもない養生食を食べ続けるのもやはり大変です。

それを可能にするものは何か?

それは、やはり健康と長寿への飽くなき執着でしょう。

その執着は大きなストレスにつながり、私たちの寿命を天寿から遠ざけてしまう一番の要因となるのかも知れません。

このテーマについて、以前神戸女学院大学の内田樹教授が示唆に富む文章を日記で書かれていました。

是非、一読して頂きたい文章ですので、ここに引用させてもらいます。

よく知られた事実に「健康法の唱道者は早死にする」というものがある。

食べ物や体操のようなフィジカルな営みに特化した健康法はしばしばメンタルストレスを増大させるからである。

そうなのである。

経験的に言って、健康法を律儀に実践している人間は必ずしも機嫌のよい人ではない。

というか非常にしばしば彼らは不機嫌な人である。

理由は簡単。

「世間の人々が自分と同じように健康によいとわかっている生き方を採用しないこと」がどうしてもうまく受け容れられないからである。

どうして、「あいつら」は平気で命を縮めるような生き方をしていられるのか。

その理由として、彼らは「世間のおおかたの人間は途方もなく愚鈍であるから」という説明しか思いつかない(それが彼らの教化的情熱にエネルギーを備給している)。

これはたしかに一面では真実を言い当てている。

だが、「世間のおおかたの人間は途方もなく愚鈍であり、私は例外的に賢明な少数のうちの一人である」というマインドセットは人間をあまり社交的にはしない。

周囲の人間の生活習慣の乱れに対する辛辣な批判と、おのれの実践している健康法に対する原理主義的確信は、彼らをしだいに社会的孤立へ追いやる。

ロゼトの事例が教えてくれるのは、たとえジャンクフードを食い、煙草を吸い、酒を飲んでも、「周囲からの支援と尊敬」のうちにいれば、人間はあまり病気にならないということである。

逆から言えば、「周囲からの支援と尊敬」が欠如した状態に置かれると、どれほど生理学的・生化学的に健康な生き方をしていても、それはあまり人間の生命力を高める役には立たないということである。

健康法の効果はそれがどれほどの社会的合意を獲得しているかによって左右される。

だから偽薬(プラシーボ)というものに薬効がある。

二つの患者集団の両方に「これはあなたの病気の特効薬です」といって薬剤を投与する。

一方には新薬を、一方には小麦粉をシュガーコーティングしただけのプラシーボを与える。

ほとんどの場合、どちらの集団も有意な治療効果を示す。

新薬の認可がなかなかおりない理由の一つは、それと同じ効果を「特効薬」であるという社会的合意を(演技的に)付与された小麦粉でももたらすことができるからである。

『野生の思考』の冒頭でレヴィ=ストロースが列挙しているとおり、その治療効果についての社会的合意がある限り、どんな療法も(虫歯が痛むときはキツツキの嘴を触る・・・というようなものでも)顕著な効果をもたらす。

人間はそれほどまでに社会的な生物なのである。

ヘーゲルが言うとおり、人間は社会的承認を受けてはじめて人間になる。

だから、あなたが生きる上でもっともたいせつなのは「隣人があなたに向ける笑顔」なのである。

あなた自身を愛するように隣人を愛しなさいというのはそういうことである。

あなたが隣人を愛することによって隣人は生きながらえており、隣人があなたを愛してくれるおかげで、あなたはかろうじて生きることができる。

人間は自分が欲するものを他人から与えられることでしか手に入れることができない。

一番の健康法は、何よりも健康法に囚われないことかも知れません。

2007/04/30

トップへ