治った群ができるメカニズム

体験談ほど当てにならないものはありませんが、体験談ほど直接イメージに訴えかけて来て、私達のハートを鷲掴みにするものもないでしょう。

どんな集まりであれ、画一的な集団ほど危険な異常性を持ちますが、そのような集団が形成されていく過程を考察することは非常に有益ではないかと思います。

まず、様々な病気を抱えた人が何らかの健康法や健康食品を藁をも掴む思いで試してみたとします。

当然、効果のある場合も無い場合もあり、極端なやり方によって症状が悪化することもある反面、著効を示す事例も出て来るでしょう。

以前に書いたことがありますが、慢性病の類は元々症状に波がありますから、良くなる波の直前に摂取した場合、何ら関係がなくても、それによって“良くなった”と思い込んでしまうことがありますし、他の治療法を併用している場合は、どれが治癒の真因となったのか、容易には判別出来ません。

病気の種類によっては、極めてプラシーボ反応が生起し易い性質のものもあり、それらの患者が治験例の数をかさ上げしてくれます。

また当然ですが、治らなかった多くの人は訴訟を起こすような悪質な事例で無い限りは、自然にフェードアウトして去って行きますので、最終的には少数派の“治った人たち”により、集団の全体が構成されることになります。

また、あまり効果の無かった人でも、実際に治った人達の中に入って活動・実践している内に、集団催眠に掛かったような状態になってしまい、思考停止に陥り、自分には効いていないのに、「効いている」と思い込もうとするような場合もあります。

また、ネットワークビジネスの分野では、ビジネスの階級システムに組み入れられる事で、本人がインチキ性に気付いたとしても紹介者としての手前、抜け出せなくなってしまうことも多いと聞きます。

業界は、どこでも“治った”と自らの体験談を振りかざす人々で溢れかえっていますが、このようにして、“治らなかった”大勢の人達が去ることで形成される“奇跡的治癒率の集団”もかなり多いのではないでしょうか?

指導的立場にいる人々は、よほど良心的な場合を除いて、治らなかった例(本当はこれが一番重要なのですが…)を表に出そうとはしませんから、都合の悪い事例は闇に葬り去られてしまうのが普通です。

そして、その理論なり製品なりの普及活動が、大衆運動的色彩を帯びてきた時に、大規模な薬事法違反として検挙される…というケースが多いようです。

奇跡的治癒率を誇る集団に遭遇したときは、上記のようなメカニズムが働いていないかどうか、吟味したほうが良いでしょう。

2007/04/09

トップへ