体の側から食を考える

現代の栄養学が教える所の栄養所要量なるものは、健康の維持増進、体の成長に必要な栄養素の一日の摂取目標として示される値であり、年齢や性別、体格によって値は違ってきますが、概ねこれを基準にした食事を心がけることが理想的とされています。

元々の栄養学の出発点は、人間の体を構成する要素を分析するところにありました。

人間を細切れにすれば何を食べれば良いか分かるというのは、何とも乱暴な話に思えますが、煎じ詰めれば現代栄養学の基礎となる考え方はこのようなものなのです。

マクロビオティックをはじめとする食養生は、これら現代栄養学に対するアンチテーゼとしての側面も持ち、桜沢如一先生などは生体内元素転換説の提唱者ルイ・ケルブラン(1901〜1983)をいち早く日本に紹介する等、現代栄養学側からの批判に対抗する為の理論武装にも余念がありませんでした。

そして、ケルブラン理論を玄米菜食に持ち込み、完全な動物性食品の排除も問題無しとしました。

医学統合研究会は、現代栄養学にも東洋的食養法にも一方的に肩入れするものではありませんから、両者の長所は取り入れ、短所は別のより良い理論なり方法なりで補うという考え方が基本で、これまでHP上で発表してきた内容は、伝統的食養生の立場にしてみれば全面的には納得できないものでしょうし、勿論、現代栄養学の論者からも肯定的な評価は貰えないかもしれません。

ですから、今回もどちらの立場を気にする事なく、食に関する根本的な問いかけをしてみたいと思います。

今回、登場して頂くのは、何度か取り上げてきた野口整体の考え方です。

一般に食養生の世界では、食べてはいけないものと、積極的に食べるべきものとを明確に区別します。

白砂糖などの絶対的に禁忌となる食品(ガチな食養の立場からは食品でさえないと言います)もあれば、その人の平素の体質や、特定の時期に食べてはいけない食品、また量を加減すべき相対的な食品も区別されます。

ところが、野口整体の考え方では、「何を食べても大丈夫な体」の重要性を説きます。

体に不要なものを食せば直ちに排出でき、必要なものはしっかり吸収できる体の働きそのものを重視するわけです。

もっともこれを大いに実践していたはずの岡島某先生の最期を考えるとやはり多少は選ぶべきとも思えますが・・・。

しかし、この考え方は考えてみれば当たり前なのですが、不思議と食養生の世界でも栄養学の分野でも無視されているような気がしますので、今回取り上げることが有益と考えた次第です

野口先生の此の考え方で言えば、昨今出回っている吸収率を高めた栄養補助食品などは愚の骨頂というべきなのかもしれません。

栄養素の摂取量や、サプリメントそのものの吸収しやすさより、体の吸収する力、排出する力を問題にしなければ真の健康はないという考え方なのでしょう(野口先生の表現で言えば“全生”となるでしょうか)。

この問題に関係する野口晴哉先生の言葉を、直接書物から拾ってみました。

昭和22年発行の幻の本『整体操法読本』には、脚気とビタミンBとの関係について述べられています。

(前略)・・・ヴィタミンBの欠乏も必ずしも食物のせいではない。同じ食物を食してゐて或る人は脚気になるが、或る人はならない。ヴィタミンBの吸収の悪い體かもしれない。ヴィタミンBの消耗の激しい體かもしれない。しかし、整體操法ではヴィタミンBの特別補給をしないで、普通の食事をしたままで、腹部第二整壓點と頭部活點及腰椎二、四の整壓で脚気は治る。要するに吾々に於ては、脚気はヴィタミンBの問題では無い・・・

また、昭和16年発行の『療病談義』には

(前略)

・・・予は食物第一と考へ、かつては食養生を研究したこともあつた。

而して自分の得た結論はかうである。人間は自然に要求したものを食すればよい、別して食物に就いて工夫するの要はない、如何に栄養ある食物でも、これを消化吸収する能力が人に具はつて居らねば何にもならぬ。従つて食物よりも消化器を健康にすることが第一である、といふことである・・・

(中略)

・・・栄養物で人を健康にしようとする考へは、根本的に誤つてゐるのです。之を消化吸収する能力に栄養があるので、食物に存するのではない。

だから食ふに食物を吟味精選し、栄養の多少に心を煩つて食べるやうでは、如何なる栄養食も栄養にはならない・・・

野口先生のこの考え方は、勉強の時間を増やすよりも、頭脳のはたらきを高めることの方が大切であるというのに近いですね。

私自身は、この考え方に手放しで賛成という訳でもありませんが、体の側から食養生を捉えるのに大変有益な視点であると考え、世の食養法の実践者や健康食品を摂取している人にも是非一度考えて欲しい問題だと思います。

自分たちの考える正しい食品が無ければ途端にダウンしてしまうようでは、その時点で健康的とは言えません。

実際に、食事に異様に気を使う人の中には、普通の食べ物を食べただけで体の調子がおかしくなる人も少なくないようです。

これなどは体でなく、頭で物を食べている典型と言えるでしょう。

こういう精神的に異常な食事の仕方は論外として、では、どうすればきちんとした消化能力を取り戻すことが出来るでしょうか?

まず、意外かもしれませんが、整体をする事が重要です。

別に野口整体に限らず、体を整えるものなら何でも構いません。

カイロプラクティックなどで背骨を矯正してもらうのも良いでしょうし、時間が掛かるのが難点ですが、ヨガなどで自発的に整えていくのも良いでしょう。

当会では橋本敬三先生考案の「操体法」をオススメしています。

野口整体も技術的には背骨を整える事を主に行いますが、これだけでも内臓系の諸問題が改善され、体が自発的に健康な状態になります。

必要なものが食べたくなり、不要なものは食べたくなくなる体の状態に近づくのです。

もう一つは、少し荒治療ですが「断食」がオススメです。

断食をする事で、体の毒素を一気に排出され、様々な感覚が鋭敏になりますし、消化器系統も一気にリフレッシュされます(吸収能力が上がりすぎてリバウンドを起さないように要注意です)。

また、野口整体の考え方と矛盾するようですが、やはり食養生の観点から、平素の体質を考えた食事内容にすることが内臓系の健康を維持強化するのに役立ちます。

これは鶏が先か、卵が先かという問題でもあります。

最後に少し脱線しますが、野口晴哉先生の考え方は独特で、「何を食べても大丈夫な体」の他に、効く薬を飲ませて治さずに、小麦粉のような全く効の無い物を飲ませて意図的なプラシーボ反応を起す治し方をすべきと説きます。

野口晴哉先生が精神療法家を自認されていたことは、先ほど引用しました『整体操法読本』において、野口先生が「精神療法」として名を連ねていることに明らかです。

では、この野口先生の思想の原点となったものは何だったのでしょうか?

私は、そこに野口先生の原風景、原体験として戦争と関東大震災があるように思われてなりません。

凄惨を極め、怪我人と死人が溢れかえった世界大戦と関東大震災。

そこで若き日の天才野口晴哉が直面したのは、薬も何も無い状況下で手技だけで治さねば為らない世界だったのでしょう。

食養だといって、之はイィ、あれはダメだのと言ってはいられない世界だったに違いありません。

そんな状況では、「何を食べても大丈夫な体」でなければ生きていけない事自明です。

しかし、その時代の食べ物は、腐っていれば直に下すでしょうし、毒物(自然毒も含め)であれば、すぐに体に反応が顕われたのでしょうが、現代の私達を取り巻く毒物は極めて悪質で、徐々に体を蝕んでいくため、中々私たちの体は反応してくれません。

やはり、多少の食養生の実践は欠かせないと思われます。

消化器を含め、体を整える事と食事にも気を使う事とをバランス良く生活の中で実践するように心がけましょう。

2009/04/11

トップへ