食養法とその問題点

「食養」という言葉の語源は大変古く、『黄帝内経素問』にすでに見える言葉ですが、出典を貝原益軒の「養生訓」に求める人が多いようです。

今日知られている日本の食養法にはいくつかの流派がありますが、基本的には明治時代の陸軍薬剤監、石塚左玄(1851〜1909)に源を発していることと、玄米食を中心に考えていることが共通点です。

しかし細かい点では指導者によって違いが有り、桜沢如一(1893〜1966)、二木謙三(1873〜1966)、西勝造(1884〜1959)、肥田春充(1883〜1956)などが独自の理論に基づいた食養生を説いています。

他にもマクロビオティック出身の日野厚先生や、西式を取り入れ発展させた甲田メソッドの甲田光雄先生などがおられ、日本の食養法も、最も知名度の高いマクロビオティックだけでなく、様々に継承・補完・発展が試みられて、色々な広がりを見せていることを知っておいて頂きたいと思います。

■日本の食養法は東洋医学ではない

マクロビオティック等の食養法を東洋医学的なものとして捉えている人が多いようですが、これには若干の補足が必要かもしれません。

世間一般には、現代医学を実践している病院での医療以外はすべて、「東洋の神秘」的療法と捉えられがちですが、東洋医学というのは、陰陽五行などの東洋思想を医学に応用したものであり、そのような古典を基にしていない理論は、どんなに東洋医学的に見えても、厳密には東洋医学ではありません。

勿論、一部には東洋医学的発想を取り入れてはいるのですが、全体として考えた場合、これらの食養法はMade In Japanと考えるべきだと思います。

源流となった石塚左玄先生は西洋医学を学んだ医師であり、食に対するアプローチも西洋医学的発想に基づいてる面があります。

マクロビオティック等は食品を陰陽で分けるために、なにやら東洋的なムードが漂っていますが、「ナトリウムとカリウム」の比率が基準となるなど、厳密には東洋医学の理論とは関係ありませんし、食品を酸性・アルカリ性で分類する「酸・アルカリ平衡説」等も同様でしょう。

桜沢如一氏の基礎理論になるのは易経ですから、東洋思想の影響を多分に受けているのは事実なのですが、これを即東洋医学として解釈すべきではないでしょう。

余談ですが、桜沢氏が採用した易経は、漢方理論の基礎となっている周易(文王と周公により整理された易)ではなく、伏義の易経であり、陰陽の解釈が反対になっているなど、今日の易者や漢方家の理論とは同じではありません。

また玄米食を中心に考える辺りも、日本独特の考え方で、全体に肉食を敵視する傾向も日本的食養法の特徴になっています。

ではどんな食事が東洋医学的なものと言えるのでしょうか?

■東洋医学(中医学)的食養とは?

テレビ番組などで放送される中国の市場の映像などを見ていると、日本人には見たこともないような食材が溢れていて驚かされますが、動物性の食材の豊富さは特に珍奇な印象を与えます(犬まである!)。

玄米菜食を中心とする日本の食養法に対して、中医学的食養法は肉類など動物性食品も使用されます。

中国の食に関する古典としては袁枚の『随園食単』(青木正児訳)など有名なものがたくさんありますが、そのような古典を見ていると中国の食文化は、自称「東洋医学に精通した」日本の食養家の考える理想食とは違い、案外動物性のものが多いのです。

ここでは中国の食文化の解説が目的ではありませんので詳述は避けますが、「人肉」がパプアニューギニアなどに見られる儀式的なものではなく、昔は純粋な「食材」として扱われていたというトリビアな知識を一つご紹介しておきましょう。

一般にカニバリズムは、危機的状況下で自己の生存のために行われる場合と、死者の供養や戦争終結後に行われる勝利の儀式などに行われる場合の2通りがありますが、中国のカニバリズムは完全に「食文化」の一つであるという稀有な特色があります。

三国志にも主人公の劉備が人肉を食べるシーンがありますが、案外知られていません(残虐なためか吉川英治版では削除されています)。

古代中国のカニバリズムについては桑原隲蔵博士の「支那人間に於ける食人肉の風習」が『東洋文明史論』(東洋文庫)に収められていて参考になります。

また、中国の食文化にご興味のある方は『中国食物史』(篠田統著)をお読みください。

少し話が横にそれてしまいましたが、治療法或いはその補助としての東洋医学的食養(薬膳)の基本は、まずは虚実、寒熱といった個人の体質を見ることから始まり、そこから「五味の調和」を基本に食材を選択します。

「五味」というのは酸・苦・甘・辛・鹹の五つの味であり、それぞれの味が五臓に関連し、またそれらが「木、火、土、金、水」の五行や経絡理論と対応しており、このような理論に基づいて、個人の体質に合わせた食事が決定されます。

このような東洋思想と対応した理論による食養こそが、本当の東洋医学的食養法といえるでしょう。

■日本の食養法の問題点

マクロビオティック等の食養法によって、難治性の病気が回復した例は非常に多く、信奉者が大勢いるのは当然なのですが、その反面体を悪くした人が大勢いるのもまた事実です。

女性の場合ですと、生理が止まってしまったり、子供が死亡した例が少なからず報告されています。

しかも、その道で大家とされている人が案外短命であったりして驚かされます。

大阪の食養研究家、福元稔氏によれば、玄米や自然食を続けていて長生きした人はいないということです。

これは一体どういうことなのでしょうか?

これは一つには、個人差を無視した教条主義形式主義による食事指導の問題が大きいといえます。

食養法に限らず、長い歴史に耐え抜いたとは言いがたい比較的新しい民間療法の類は、その創始者の体質を元に体系化されているため、万人に画一的な理論を当てはめてしまう傾向が見られます。

食養法の場合ですと、陰性体質の人に、季節かまわず生野菜や生水の大量摂取を強要したりするのがそれです。

それで健康状態が改善しない、あるいは悪化していたとしても、真面目な性格の人ほど「これは自分の努力が足りないからだ」と、更に偏った食事に励み、体を悪くしてしまいます。

その食養法によって病気が治った例があるからと、あたかも不変の真理であるかのように思い込むのは危険です。

もう一つは、健康状態が回復しても、厳格な食事をそのまま長期にわたって継続することに起因した問題です。

これは玄米のフィチン酸の害作用によるところもあるのですが、特殊で厳格な食事制限は長期間にわたって継続するのは望ましくありません。

その食事で健康状態が改善されたからといって、そのまま続けていれば更に健康になれるというものではないのです。

漢方では患者の「証」を基準に治療がおこなわれますが、「証」が変化すれば、用いる方剤も変えなければならないとされています。

体の状態に合わせて実行するのが、食養においても大切なのは言うまでもありません。

断食を例にとって見ると分かりやすいでしょう。

断食で病気が治ったからといって、そのまま食べなければ更に完全な健康状態への道を歩むことができるというわけではないでしょう。

また玄米菜食が良いからといって、動物性食品を極端に制限するのは栄養バランスを崩すことにも繋がりますので、「中庸」「中道」を心がけるのが賢明です。

治療のための厳格な食養法を続けるのは、せいぜい1ヶ月くらいが限度ではないでしょうか。

三つ目の問題は、大抵の厳格な食養生には「食の楽しみ」という要素が抜け落ちているということです。

食事は「感謝して」「美味しく」「楽しく」頂くことが大切です。

「不味い」と思いながらも、「良薬口に苦し」とばかりに、眉間にしわを寄せて黙々と玄米をドロドロになるまで噛み続ける様は、どう考えても「食事」というよりは「苦行」に近いと言えます。

そのような食事も「治療」と割り切って短期間取り組むには問題もないのでしょうが、恒久的に実践するとなっては精神衛生上よくありません。

そのような苦痛を伴う食事では、食べ物への感謝、生命を頂いて生かされているという感謝の気持ちは中々湧いてこないでしょう。

また一般社会での人との付き合いでは、レストランや居酒屋で会食する機会も当然あるでしょうから、それらを「体に悪い」と言って拒んでいては、人間関係にもヒビが入ります。

四つ目は、必要以上に食養を過信してしまうことでしょうか。

たいていの現代病は食事を改善するだけでもそれなりに軽快するものなのですが、すべての疾病が食養“だけで”解決できると言うものではありません。

本当に良識的な食養生の指導者は食養だけでなく、漢方や気功、運動療法などを様々に取り入れて、色々な観点から総合的に治療していくというやり方を採っています。

健康あっての人生ですが、人生あっての健康です。

食養も、あまり神経質にならずに、気持ちをおおらかにもって取り組みたいものです。

2007/02/02

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