身土不二に対する疑問

「身土不二」という言葉は、食に関心を持つ方なら誰でも知っている表現で、あらゆる食養の流派でも最重要項目のひとつに数えられています。

その土地の人は、その土地で育ったものを食べるのが健康に良いという意味であり、同じような意味で「地産地消」という表現も用いられています。

食養運動のスローガンとして用いたのは、明治時代の陸軍薬剤監・石塚左玄が始まりと言われることもありますが、実際に食養運動の中で用いだしたのは、石塚左玄が創設した食養会の後継者、西端学です。

山下惣一氏の著作『身土不二の探求』によると、元々は仏教用語で、『廬山蓮宗寶鑑』(普度法師、1305年)が初出であり、「仏身と仏土は分かちがたい」という意味だそうです。

今回は、この「身土不二」について考えてみたいと思います。

この言葉は、食養生の中核的要素として位置付けられていますが、現代の文明社会において持つ意味を考えると、いくつかの問題点が浮かび上がってくるのです。

明治以前の日本では、人口の流動は非常に制限されており、先祖代々の土地で人々は生活していました。

したがって身土不二は実践されていた訳です。

しかしその後、人間の移住が激しくなると、話は変わってきます。

北海道の人が沖縄に引っ越した場合、風土も食生活も一変するわけですが、人間の体は適応力を備えていますから、住めば都で、それなりに慣れるものです。

しかし、身土不二の観点から言いますと、その種族の遺伝的特徴や、悠久の時を経て培ってきた身体の特性はそうそう変わるものではありません。

農耕民族である日本人の腸は欧米人に比べて長いわけですが、このような特徴はそんなにすぐに変わるわけではないのです。

例えば、日本人のほとんどは乳糖不耐症ですが、牛乳を飲み続けたからといって、ラクターゼが出てくる訳ではありません。

昔は結婚も同じ村か、比較的近い地域内で行われていましたが、今日のように国際結婚が盛んでは、遺伝的地域特性も食養法の従来の概念では厳密には扱いきれないのです。

父方が愛媛の漁村、母方が東京出身の管理人は、身土不二を考えた場合、どのような食事をすればよいのでしょうか?

転勤族のサラリーマンは、しょっちゅう食生活の大幅な変更を強いられることになりかねません。

それに高層ビルが立ち並ぶ、多くの都市部では海も畑も川も何もありませんから、野菜も魚も獲れるはずはなく、地産地消は夢のまた夢です。

結局は常識的に考えて、日本人的でない食事は避け、和食中心の食事(売っている食材は外国産が多いですが)にするのが、現代的身土不二(元々の意味では自分の土地から3里から4里以内で獲れる食材ということだった)を守った食生活といえるでしょう。

近代以降、身土不二が崩れ去ったからこそ、今日その復権が声高に叫ばれているわけですが、時代の変化に合わせて中身も変えていくべきではないでしょうか。

■身土不二に対する更なる疑問

「身土不二」を金科玉条のように崇め奉る高名な食養家の多くが、“日本人の体に合わない”という理由から、舶来の食品・食材を食卓に乗せることをさかんに攻撃非難していますが、どうも妙な感じがしないでもありません。

たしかに、凡そ日本的でないエスニックな料理やスパイスなどが日本人の体に合わないであろうことは想像に難くありませんが、食養指導家の肝心の指導内容を見ると疑問を感じざるを得ないのです。

農作物の歴史に詳しい人ならご存知だと思いますが、今日の我々の目に「和食」と映るものの食材には輸入品が少なくないのです。

西洋南瓜、セロリ、パセリ、オクラなどは明治時代に輸入されたものですし、ジャガイモ、サツマイモ、小松菜等は江戸時代以前には日本にはありませんでした。もっと古い歴史を辿れば、大豆、小豆、大根、茄子、胡瓜、ごぼう、わさびetc…と多くの野菜が元は舶来品なのです。

まさか、「明治時代以前の舶来品は日本人の体に合うが、第二次大戦以後入ってきたものは駄目だ」というわけではないでしょう。

仮にも人様の健康的生活を指導しようという人が、このような不可解な態度をとっているのは残念なことです。

以下に外来作物と渡来した時代の一覧を掲載しますので参考にしてみて下さい。

神代〜孝徳天皇
(紀元〜654年頃) 
キュウリ、マクワウリ、ヘチマ、大豆、小豆、ベニ豆、大根、カブ、生姜、ユリ、レンコン、セリ、ラッキョウ、ニラ、ニンニク、ネギ、キクetc… 
 皇極天皇〜源平時代
(655年〜1210年頃)
 ナス、冬瓜、エンドウ豆、フジ豆、イチゴ、サトイモ、ヤマイモ、クロクワイ、ゴボウ、ワサビ、ワラビ、防風、ジュンサイ、シソ、コエンドウ、ウド、フキ、淡竹、水菜、高菜、カラシナ、カキチシャ、ワケギ、アサシキetc…
 源平時代〜徳川開幕
(1211年〜1603年頃)
 スイカ、カボチャ、トウモロコシ、トウガラシetc…
 徳川幕府時代
(1603年〜1866年頃)
 ジャガイモ、サツマイモ、糸瓜、レイシ、ソラマメ、孟宗竹、クワイ、チョロギ、
キャベツ、ホウレンソウ、小松菜、レタス、シュンギク、フダンソウetc…
 明治以降
(1867年〜)
 西洋南瓜、メロン、オクラ、二十日大根、波羅門人参、アメリカ防風、火焔菜、タマネギ、リーキ、山葵大根、アザミ、カルドン、食用大黄、子持カンラン、セロリ、パセリ、イタドリ、シーケール、苦チシャ、マッシュルームetc…

『自然への回帰』粟島行春著 日豊株式会社刊 より引用

更に、これまで風土病研究の一環として、土壌と風土病の関係が調べられてきましたが、それらの研究は特定のミネラルが不足したり、或は過剰である場合に、その土地で育った作物によって様々な病気が引き起こされる事を証明しています。

これは何も特定の農薬や重金属に汚染されている土壌の例ではなく、そのような土地は沢山あります。

つまり、この例も身土不二の原則が必ずしも、私達の健康に寄与するものでないということを教えてくれます。

また、医食同源の項で述べていますが、身土不二とは本来偏食です。

あまり神経質にならず、常識の範囲内で食生活をするのがなによりも大切ではないでしょうか。

身土不二はあくまで理想論であると、当会では考えています。

2007/02/04

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