胎教に親のエゴを持ち込まないこと

巷に溢れかえる胎教や幼児教育の本を見渡してみて思うのが、今日語られる「胎教」には親のエゴが見え隠れしていることです。

胎児期から英語を教えようとしたり、算数の得意な子になるようにイメージを使って授業を行ったり、スポーツの得意な子供に育つよう試みたりと、子供の自発性を完全に無視した詰め込み式の胎教は、まさに親の「見栄と欲の胎教」と言えましょう。

確かに、資本主義社会は弱肉強食であり、平等を国是とするかのような日本においても、結局は能力がその人の人生を決定するという面があるのは事実ですから、子供が競争社会で生き残っていけるようにという親心を攻めるつもりは毛頭ありません。

しかし、結局は「子どものため」という名目で行われるこのような行為も、胎教に親のエゴや競争欲が持ち込まれたものに違いないのです。

自分の子を競争社会で優位に立たせようという親の心が胎児に伝わってしまうと、子供が成長したときに弱者を蔑む人間になってしまう可能性は十分にあり得ます。

「競争社会で生き残っていけるように」ということは、詰まる所、「自分さえ良ければ」という発想に他なりません。

当たり前の愛情を注ぐ事こそが本当の胎教であるはずなのに、いつの間にか、この胎教にもきな臭い商業主義の香り漂う詰め込み主義が入ってきたのは残念なことです。

多くの親は子供が将来高学力高学歴な人間になるように胎教に取り組んでいるようですが、子供の学力よりも、人格や人柄の方が遥かに大切なものであることは言うまでもありません。

より多くのことを行って胎児に影響を与えようというのが胎教であると、私たちは考えがちですが、「何々せねばならない」という儒教的な胎教は、長い目で見れば決して良い結果を生まないと思うのです。

どうせなら、単に「勉強が出来る子」よりも「勉強で躓いている子を助けてあげられる優しさを持つ子」を願う方が、遥かに健全ではないでしょうか?

「胎教の難しさ」で触れたように、親自身が周囲の人々に優しさや、ささやかな幸せを与えられるような人間になることは大変な事ですが、最も重要な事でもあります。

もし、今現在このような胎教を「子供のために」実践しているという妊婦さんがいらっしゃったら、ここで立ち止まって、ご自身の心の中を今一度よく観察して頂きたいと思います。

2007/05/13

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