土を知ろう〜内水理論が教えてくれるもの〜

近代科学が細分化による研究方法を基礎とする以上、実験系を極限まで単純化した上で対象にアプローチしようとするのは当然の事と言えましょう。

しかし、かかる手法は論文を隙無く書く為には好都合でも、人間は言うに及ばず、比較的単純な構造の生命体における神秘すら、解き明かすことは出来ないのではないでしょうか…。

それは、時に生き物の如き不思議な振る舞いを見せる“水”の研究においても同様で、水を単なるH2Oの集積としてしか考えず、自然界には有り得ない高純度のものを実験の為だけに作り出し、あれやこれやと弄くり回してみたところで、水の本当の素顔を垣間見ることは出来ず、まして、私たち生き物との真の関係を知ることは出来ないでしょう。

水は、必ず土との相互関係において存在するものです。

その土は、微生物との関係において存在しています。

ですから、自然界にとっての水、環境に負担を掛けない水処理、生物が摂取すべき水、どれをとっても、この“水-土-微生物”という三位一体の関係を知らずしては、取り扱うことの出来ないテーマなのです。

一般に、水の分野で重要視される「ミネラル」も、この場合「土」の中に含意されますが、「土=ミネラル」ではありません。

水が浄化される中で働く微生物、土が生成される中で浄化される水…これらを総合的に理解することが水の理解には欠かせません。

普通、水中に微生物が存在することは、中毒の原因と考えられ、水道行政では徹底した塩素消毒が為されます。しかし、土の中にも大気中にも土壌に由来する菌(土壌生成に関わる微生物群)は充ち充ちており、当然良質な水中にも存在しているのです。

それらに注意が行かないのは、かかる微生物群の中には顕微鏡サイズ以下のものもあることや、VNC(生きているが培養できない状態。微生物の大多数はこの状態と考えられています)の為に検出困難なだけであって、これらの微生物群が水と共に摂取されることは、我々の健康に寄与することはあっても、決して害を齎すものではないのです。

寧ろ、それらの土壌菌がいなくなることで、食中毒を起すような病原菌が蔓延る下地を作ることになります。

土を知らず、微生物を病原体としか考えない科学者がいくら研究したところで、水の本当の姿は理解出来ませんし、本当に有益な水処理法(上水・下水含めて)に行き着くことは出来ないでしょう。

このマクロ的な視点が確立されれば、電気分解やRO処理の不自然さが分からないはずはありませんし(RO膜により土壌菌群まで漉し取られているのも低い抗酸化能の理由の一つかもしれません)、何故結合構造が整った水を散水するだけで土壌改良効果が得られるのか、雪解け水などの結合構造の整った水には何故乳酸菌増殖効果があるのか等々…多くの疑問に答えが得られるのです。

この土と水と微生物の関係について、非常に興味深い示唆を与えてくれるのが、故内水護博士の提唱した「内水理論」です。

内水理論は、東京大学理学博士で火山学出身の研究者であった内水護博士が、1980年代初めに提唱した土壌生成に関する理論です。

内水博士の理論を用いた排水処理技術は、東京の青木電器工業により事業化され、曝気槽で岩魚が住めると云われるほどの浄化能で有名になり、一時期は畜産分野を主として北海道や香川を中心に普及した活性汚泥法で、現在はチッソ環境エンジニアリング鰍ノ事業譲渡されています。

また、別にBMW協会という団体でも、内水博士の理論による技術が普及されています(BMWとは車ではなく、バクテリア・ミネラル・ウォーターの略です)。

内水博士の著作は、20年ほど前に漫画社より『自然と輪廻』『蘊奥自然学』『土と水の自然学』『土の心、土の文化』の四部作が刊行されています。

■〜内水理論とは〜

内水博士は、現代の科学は「土壌」というものの生成及びそのメカニズムについて、何ら正確な知見を持ち合わせていないと言います。

本来、「土壌」すなわち「土」とは、有機物が土壌菌群の働きで、重合・縮合して巨大分子化した反応生成物であり、この反応が惹起するためには、安山岩や流紋岩等に含まれる珪酸塩が重要な役割を果たしており、その結果として土壌菌群がフェノールないしフェノール露出基を含む化合物を含む代謝物を産生する代謝機能を発現することで、自然の本来の浄化作用が行われる…これが内水理論の概要です。

少し詳しく述べてみます。

自然界における有機物の変性は2種類に大別されます。

一つは酵素分解における低分子化であり、二つ目は沼の汚泥や石炭などの生成に見られる重縮合反応によって生じる有機物の巨大分子化です。

酵素分解は、土壌菌群の非フェノール系の代謝産物によって惹起する反応であり、巨大分子化はフェノール系の代謝産物により引き起こされる物理化学反応です。

従って、どちらの反応が惹起するかは土壌菌群の代謝産物にフェノールおよびフェノール露出基を含む化合物が含まれるか否かによります。

フェノール系代謝は土壌菌群にとって本来の代謝機能であり、一定条件の下で長期にわたって珪酸塩に接触した状態に置かれた場合に発現します。

また、非フェノール系代謝は、通常土壌菌群が珪酸塩との接触を絶たれた場合や、人為的な環境に置かれた場合などに発現する代謝機能です。

このように、同じ土壌菌群でも外部環境の違いによって、異なった代謝機能を発現するのであり、その結果として産出される代謝産物がフェノール系においては有機物を巨大分子化するのに対して、非フェノール系にあっては有機物の分解を齎します。

フェノール系代謝産物が有機物と接触することによって惹起する物理化学反応は、反応系内に珪酸塩が存在するか否かによって次の2つのパターンに分けられます。

 “基本反応@”

有機物(水溶状有機物ならびに含水性有機混合物)は、フェノールまたはフェノール露出基のある化合物を含む微生物代謝産物を添加されることにより、急速に結合、粒子化、凝集、縮合、重合し、巨大分子化・塊状産物化します。

→フェノール露出基のある化合物には、フェノール露出基のある酸化酵素も含まれます。

“基本反応A”
基本反応@に際し、活性化された珪酸分を多量に含む物質が適量に添加されば、腐植化のための重縮合反応を惹起します。

→基本反応Aは、土壌の生成反応であり、活性化された珪酸分を多量に含む物質とは、地殻の平均組成ないしそれに近い組成を有する物質であって、かつ、エネルギー的に不安定な状態にある珪酸塩を言います。 

土壌とは、上記基本反応Aによる反応生成物であり、キレート構造を有し、無機イオン性物質の除去を可能にするものです。

また、ここで言う腐食とは、有機質と珪酸塩とが一体をなした重縮合物を指します。

■本来自然の水は抗菌性を持ち、生体に有益な働きを有する

私たち人類を含めた高等生物は、土壌菌群との共生関係の中で発祥し進化し存続してきたのであり、共生関係にある生物はお互いに、共生することの利益を分かち合います。

土壌菌群にとっての高等生物は、栄養物質の供給源として機能し、また高等生物にとっての土壌菌群は、動植物に生育基盤としての土壌を提供します。

また、それらの土壌菌群は高等生物に対して、雑菌類に対する抑制力をもった水や大気をも提供しています。

腐植化反応を惹起するための要因物質であるフェノール系代謝産物ないし腐植前駆物質は、土壌菌群以外の微生物に対する抗菌性に優れていて、本来の自然の浄化作用を持つ水は、土壌菌群による代謝物によって大腸菌等の雑菌に対して抗菌作用を持つのです。

自然の浄化を行う土壌菌群にとって、それらの雑菌は敵であるからです。

また、先述のように該土壌菌群の一部は顕微鏡サイズ以下であり、検出が容易ではありません。

それらの土壌菌群は、本来あるべき状態、つまりフェノール系代謝機能の発現した状態である限り、土にあっては土壌の生成を行い、水中にあっては水質の浄化、また水によって育まれる全ての生物に対し、活力のある水を供給し、大気中にあっても同様に生命の諸活動を促進する働きを有します。

塩素系殺菌剤をはじめとする農薬や化学肥料の散布によって土壌が疲弊すると、結果として土壌菌群の代謝機能は非フェノール系になり、また水道行政でのオゾン殺菌や塩素殺菌によっても、本来良好な水にとって必要不可欠な土壌菌群の多くが死滅し、わずかに残った土壌菌群自体も本来のフェノール系代謝機能は発現されません。

したがって、持続的殺菌の為に投入される遊離塩素が何らかの原因で減少してしまうと、水道水は雑菌類の繁殖を抑制することが出来なくなります。

畢竟、我々高等生物は土壌菌群と共生関係にある以上、フェノール系代謝機能の発現した土壌菌群を含んだ自然の水を摂取し、それらの土壌菌群を含んだ大気を吸引することによって、はじめて健康な体を維持できるのです。

以上のように、水とは、土と土に関する微生物=土壌菌群との相互関係において存在するのであり、水といえばすぐに注目の集まるミネラルも、含有ミネラルバランスのみに焦点が定まりがちですが、水中のミネラルは土壌によってコントロールされた結果としてのミネラルであり、畢竟土壌菌群が重要な働きを担っているのです。

土の事を知らずして水を理解することは出来ませんし、土壌菌を知らずして水を知ることも出来ません。

内水理論を知った後では、自然界に普遍的に存在して働いている土壌菌群の存在を想像するだけでも、“水”というものが、違ったふうに感じられるのではないでしょうか。

私の好きな易経の卦に、「水地比」というのがあります。

少し深読みかもしれませんが、この卦は水と土との関係を良く表したものに思えてなりません。

以下、最後の儒学者と言われた公田連太郎先生の名著『易経講話』より引用します。

「比の卦は、下に坤の地があり、上に坎の水がある。地の上に水がある象である。水と地とは、極めて密接なる関係を持って居る。地の上に水があれば、その水は地に浸み込み、土は水の為に潤い、土と水とは離れることなく、水と土との間には隔てるものが無い。又、土は水の潤す力によって、始めて草木を生長させることが出来、水は土によって始めて水の万物を生長させる働きを完成することが出来る。水と土とは、かように密着して離れず、互いに相助けるのである。水が地の上に在ることを、比即ち親しむことの象とする。これが水地比の卦の出来た意味である。」

私は公田先生のこの文章がとても素直に心に残りました。

最後に、私の大好きな宮崎駿監督の名作「天空の城ラピュタ」より、これまた大好きなフレーズをご紹介し、この項を終えたいと思います。

“土に根をおろし、風とともに生きよう 種とともに冬を越し、鳥とともに春をうたおう ものにあふれる豊かな暮らしも決して人の心を満たさない 人は土を離れては生きられない”

※本項作成にあたって、内水先生の著書『土と水の自然学』『土の心、土の文化』を参照致しました。

2007/03/25

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